キスしてるみたいに手紙を書こう

日々の感謝とありったけの愛を

筋書きはここにある

 

神山智洋くんが演じたイアーゴーに関する記事には

腹黒いだとか、狡猾な役だとかそういった見出しが付くことが多い。

何より、イアーゴーはこの物語を引っ掻き回しオセローを陥れる役である。

神山くん自身も「物語を引っ掻き回してぶっ壊す」だとか「こいつ嫌い!と思ってもらえるような」と話しているような人物だ。

 

しかし、神山くんはその後にこんな言葉を続けていた。「どこか人間味があって感情移入できるような」と。

私は、初日に見たとき神山くんのいうイアーゴーの人間味がわからなかった。もしかしたら私は最後までイアーゴーの人間味をわかることができないかもしれないと思った。

 

でも、私は結局イアーゴーのことを嫌いになれなかった。

好きというわけでもない。ただ、嫌いになれなかったのだ。

 

そんな訳で、私が私なりにイアーゴーをわかろうとしたっていう考察ブログです。

お前そんだけ語っておいて薄っぺらいなとか、ちげーだろ出直してこいとか、色々あると思うのですが(笑)

最後までお付き合いください。

 

 

私は多分、イアーゴーのことを悪人だと思いきれなかったんだと思う。

むしろ、イアーゴー自身もこの悲劇の主人公の1人だと思った。

そもそも、彼がオセローに対して憎しみを抱いたのは、オセローに忠実に従い命をかけてきた自分ではなくキャシオーが右腕に選ばれたことだ。

それもキャシオーはまともに軍を采配したこともなく、戦闘部隊の編制も知らないような男である。キャシオーは貴族でイアーゴーは根っからの軍人。

これは私の単なる想像に過ぎないけど、貴族であるキャシオーと軍人である自分の身分の違いもイアーゴーにとっては大きいのかもしれない。

きっとイアーゴーは自分の存在価値を認めてもらうためにものすごく努力をしてきた人なんだと思う。幾たび苦難を乗り越え、着実に自分の軍事力を高めてきただろうし、オセローからの信頼だって得てきたはずだ。

それなのに、貴族の成り上がりが右腕に収まってしまう。イアーゴーがここまで積み上げてきた功績も自信も軍人としてのプライドもこの時点で傷つけられている。

イアーゴーはものすごく自己肯定感の低い男なのかもしれない。

自分の存在価値を功績でしか見出せないタイプなのだろう。

 

イアーゴーは同性愛説があったけど、そういう恋愛感情としての愛とはまた少し違うのかなって思ってた。

イアーゴーはオセローのことを心から尊敬していただろうし、もっと言えば崇拝していたのだと思う。男の人が自分の上に立つ人のことを崇拝しすぎると、それは歪んだ愛の形として描写されやすいような気がする。

 

1幕の終わりにイアーゴーが地球儀を操るシーンはチャップリンの『独裁者』のオマージュであるという話がある。

演者さんもツイートしてくれてたんだけど、削除してた。

あのシーンでイアーゴーが最初に手を置き、頬を寄せ、愛おしいとでも言うような表情で見つめるのはオセローの故郷だった。

イアーゴーは地球儀を自分の世界の中へと誘う。オセローのことも含めて、地球儀(全世界)を自分のものにしたかった。

イアーゴーにとって全世界を手に入れるということはオセローに自分の存在価値を認めさせ、オセローのことすらも操ることなのかもしれない。

 

この時のイアーゴーは、自分の計画が上手くいくと信じて疑っていなかっただろうし、オセローのこともロダリーゴーのことも上手く騙すことができると思ってたのだと思う。全世界を手に入れることなんて簡単だって。

多分イアーゴーは誰のことも殺すつもりなんてなかっただろうし、オセローのことを騙して自分の存在価値を再確認させてやろうくらいにしか思ってなかったのかもしれない。

だから幕が降りる瞬間、イアーゴーは地球儀を空高くまで飛ばしたり、時には足で蹴ったりしていた。この時のイアーゴーには、このあとを想像して高揚する気持ちが見えた気がした。

 

イアーゴーがオセローのことを自分のものにしたかったのだろうなと思ったシーンは2幕にもあった。2幕の最後、オセローはイアーゴーに対し決定的な証拠を要求する。イアーゴーは「はっきりさせたいんですね?」と確認を取り、続けて「デズデモーナとキャシオーがそういう恰好になっているのを見るんですか?」と問いかける。オセローはその姿を想像して畜生!と叫び、半狂乱になるがそれをイアーゴーは強く強く抑えつけている。私はこの時のイアーゴーがただその動きを止めるためだけに抑えつけているのではないのかもしれないと思った。オセローを自分の手の中に収めるために抱きしめているようにも見えた。

 

そのあと、オセローとイアーゴーの2人は神に祈る。そしてイアーゴーは誓うのだ。

「自分自身を不当な目に遭ったオセローに捧げる」と。

この時の2人はもう上司と部下ではない。2人の間には友情がある。当時、男同士の友情は恋愛感情よりも重視されていた。オセローはイアーゴーの愛に「口先だけでなく寛大な礼を以て応えよう」と言い、副官に命ずる。

この時、イアーゴーは副官になれた喜びと同時にしめしめとでも言うように笑う。それもオセローが自分から目を逸らした隙に。

2幕のラスト、オセローを支えるようにイアーゴーは自分の肩を貸し階段を上る。

そして2人まで見つめ合う。月に照らされて。

 

愛するデズデモーナのことも副官に命じたキャシオーのことを信じられなくなっているオセローにとって、信じられる人は自分しかいない状態を作ることができた。

イアーゴーがオセローを自分のものにしたと確信した瞬間だった。

 

ここで終わりにしておけばよかったのかもしれない。でも、イアーゴーは自分のものにしただけでは満足できなかったんだと思う。偽りに偽りを重ねた自分の存在価値を不動のものにするために、さらなる悲劇に向かってしまうのだろう。

 

 

イアーゴーの誤算は自分の行いが殺人にまで及んでしまったことだろう。

最初にも言ったが、イアーゴーは誰のことも殺すつもりなんてなかったと思う。

酒場でロダリーゴーが暴れたとき、混乱の最中でイアーゴーは面白いくらいに自分の思い通りにことが運んでいる状況に笑いを抑えることが出来ない。この時のイアーゴーはまるでちょっとした悪戯がうまくいった少年のような笑い方をするのだ。

ただ、そんな自分の存在価値を認めさせるために見繕った作り話が思わぬ方向へと進んでしまう。

オセローがキャシオーとデズデモーナを殺そうするのだ。

イアーゴーは「俺もデズデモーナに惚れてる」と言う。1つは復讐のためだというが、1つはということは2つ目…もしかしたら3つ、4つ目もあるのかもしれない。

あるとしたらイアーゴーもデズデモーナの貞淑さや純粋で無垢な心に惹かれているのだと思う。

 

オセローもイアーゴーと同様に自己肯定感の低い人物なのだと思う。

オセローの中にある決定的な強みであると同時にコンプレックスは、自分が黒人であることである。異国人でありながらヴェニスで最高指揮官になり、美しいデズデモーナを妻として迎えることができた。このことは大きな強みであるが、その文化の違いにイアーゴーはうまい具合につけ込んだ。

1幕でオセローは「命にかけて妻が裏切ることはない」というが、この最大のコンプレックスを指摘されることでそれまでの自信が一気に決壊する。

オセローは竹を割ったような性格だ。一度信じたものを裏切ることはないし、疑ったものに関しては証拠を掴まずにはいられない。自分の中でそうなのだと思ってしまったことは、もうそうなのである。

だから、命にかけて裏切ることはないと思っていた妻が自分を裏切ったのならば、殺さずにはいられないのだ。

イアーゴーはオセローがそういう性格だとわかっていながら、デズデモーナを殺そうとするまでになると計算していなかった。これがイアーゴーの誤算である。

 

デズデモーナとキャシオーの不義について「3日以内に返事を聞かせてくれ」とオセローに言われた時、イアーゴーは「わが友人は殺します」とキャシオー殺しに関しては躊躇なく応える。しかし、そのあとに「でも奥様は生かして…!」と言うのだ。オセローはイアーゴーの言葉を遮るように「畜生!」と叫ぶ。この時、イアーゴーは焦燥感とやり場のない想いを抱えた表情をする。

 

そのあともイアーゴーがデズデモーナを庇う場面があった。

1つは、オセローがロドヴィーゴー閣下から渡された手紙を読む場面だ。オセローは手紙を読みながらデズデモーナと閣下の会話を聞き、ここでもデズデモーナがキャシオーに抱く「好意」を「情欲」だと誤解する。

そしてここで、ついにオセローがデズデモーナに手を挙げてしまうのだ。

この時のイアーゴーは手紙を読んでいるはずのオセローと、閣下と話しているはずのデズデモーナの会話が誤った交錯をしているのではないかと疑い始めている表情をする。しかし、イアーゴーが確信する前に、オセローはデズデモーナを殴ってしまう。

このとき、イアーゴーは周りと同じように目の前で起こったことに息を呑みながら、エミーリアと共にデズデモーナに寄り添い、さっき言ったような表情をする。

 

そして、この瞬間からイアーゴーの焦りがより伝わりやすくなる。それまで余裕そうに歩いていたイアーゴーが、生き急ぐように走るのだ。それは自身の心の焦りが動きとして現れているようだった。

 

 

しかし、副官に命じられオセローを自分のものにしたと確信したイアーゴーは、同時にもう1人の自分を宿してしまう。

それが緑の目をした怪物に飲み込まれたイアーゴーだろう。

オセローの中で自分の存在を不動のものにしたいという想いは、殺人さえも厭わないイアーゴーをつくりだしてしまった。

オセローに対してデズデモーナを「ベットで首を締めて殺しなさい」と助言する場面のイアーゴーは緑の目をした怪物。イアーゴーの心の中には2つの自分が生きていたのかもしれないと思った。

 

3幕から登場する鏡のセットは、本来そこにいる人たちには見えていないものが私たちには見えるというつくりになっている。

相手には見えない表情であったり、絶対に見ることができない自分自身であったり。

 

デズデモーナはイアーゴーに「どうすれば夫を取り戻せるかしら」と問いかけ、オセローを愛さないことがあるなら心の平穏などいらないと強く叫ぶ。それに対してイアーゴーは「泣かないで」と優しく慰め、「万事うまくいきますよ」と言うのだ。

それを聞いたデズデモーナは泣きながらイアーゴーに抱きつく。もう頼れる相手はあなたしかいないのだと。

イアーゴーはデズデモーナを抱きしめ返すことは出来なかった。行き場を無くした手は空虚を舞う。このときのイアーゴーには戸惑いが見えた。

緑の目をした怪物に飲み込まれていないイアーゴーがそこには確かに存在していた。

 

そして2人を見送ったあと鏡映った自分の姿に恐れおののき、後ずさる。

それまで気が付いていなかった緑の目をした怪物に飲み込まれた自分を鏡越しにはっきりと見てしまうのだ。

イアーゴーは俯き、強く床に手を叩きつけながら叫ぶ。もう後悔しても仕方がないのだということを知ったのかもしれない。来るところまで来てしまった。

 

多分ここが、神山くんが私たちに伝えたかったイアーゴーの人間味を表す最大の場面だったのだと思う。

鏡に映るイアーゴーの横顔、背中、手の動き、その全てがイアーゴーの心の中で複雑に混ざり合う感情を表していた。

 

 

イアーゴーはロダリーゴーの前ですら偽りの自分を演じている。イアーゴーはロダリーゴーに対して常に優位でありたいし、事実ロダリーゴーのことを阿保だと下に見ている。

キャシオーのことも軍人として下に見ていることは明らかだ。恐らく、ここの2人に対しての情は最初から特にないのだろう。

 

デズデモーナをお前のものにしてやるとイアーゴーに言われるがままに従っていたロダリーゴーは、自分は利用されていたことに気付くと「騙されたんだ」とイアーゴーを責め「自分の宝石を返せ」と言ってくる。

キャシオー殺しにとりかかるロダリーゴーを柱の陰に誘導したあと、イアーゴーは「やつがキャシオーを殺そうと、キャシオーがやつを殺そうと、両方ともくたばろうと、俺の得になる」という。この台詞だとイアーゴーの中で3つのプランがあるように感じたが、イアーゴーはキャシオーに向かって剣を振りかざしていた。その証拠にロドヴィーゴー閣下らの声がしたとき、イアーゴーは舌打ちをして剣を灯りに持ち替えるのだ。

2人でキャシオーを消そうとロダリーゴーに言ったときから、イアーゴーは2人とも消すというプランを計画してたのだと思う。

ロダリーゴーが生き残ってしまったら、愛に狂ったロダリーゴーはデズデモーナに直接愛を伝えようとするだろうし、自分に宝石を返せとせがむだろう。キャシオーが生き残ってしまったら、いつオセローが自分の告げ口を直接確かめようとしてしまうかわからない。

 

でも、イアーゴーは最後まで自分の妻であるエミーリアのことを殺そうとしなかった。この悲劇の最大のきっかけであるハンカチを盗ませたエミーリアのことを。

 

私はエミーリアが大好きだった。

愛する人のためにひたむきに行動するエミーリアが好きだったし、強い部分も弱い部分も包み隠さずありのままに生きるエミーリアが好きだった。

 

夫に頼まれたデズデモーナのハンカチを盗むという行為をするとき、エミーリアは一瞬だけ迷いを見せる。しかし、たまたまデズデモーナが落としたハンカチを拾ったことが後に大悲劇を生むことになるなど知る由もないエミーリアはそのハンカチを自分の胸に仕舞うのだ。

 

イアーゴーにハンカチを渡す場面の2人は穏やかで可愛らしくて唯一、等身大のイアーゴーが見れるような気がしてとても好きだった。

ハンカチをひらひらさせながら走るエミーリアの腕を掴み自分に引き寄せるときのイアーゴーの顔も、「用事がないなら返してちょうだい」と手を伸ばすエミーリアに対してわざとらしくハンカチを遠ざけるイアーゴーの顔も、優しくて幸せそうだった。

 

イアーゴーはエミーリアのことを心から愛していたし、きっと信じていたのだ。

「命にかけて、妻が裏切ることはない」と。

 

エミーリアもまた、イアーゴーのことを愛していた。それはデズデモーナに「全世界とひきかえなら、ほかの男と寝るか」と問いかけられたときの答えに現れていたと思う。

エミーリアはその問いに対して「亭主のためになるなら、煉獄の苦しみにあってもやる」と言うのだ。デズデモーナは「自分はそんなことは絶対にしない」と返すが、私はこのエミーリアの答えが狡いとか品がないという風には思えなかった。愛する人のためなら自分を犠牲にしても構わないという真っ直ぐすぎるくらいのイアーゴーに対する愛だ。

エミーリアは最後まで夫のためなら煉獄の苦しみに耐えることをやめなかったのだと思う。

 

エミーリアが愛していたのはイアーゴーだけではない、デズデモーナのことも愛していた。

真実を知るまで、エミーリアが知っているのはデズデモーナがオセローのことを心から愛していることだけだ。オセローがどんなに酷いことをしても彼を愛し続けているデズデモーナの貞淑さを1番近くで感じていた。

だからこそ、エミーリアは真実を伝えなければならなかった。愛するデズデモーナを守るために。

 

妻が自分のことを裏切ることはないと信じていたイアーゴーは、エミーリアが自分のことを裏切った瞬間に自信を失うのだろう。オセローと同じように。イアーゴーもまた誰も信じられなくなってしまったのだ。

そして衝動的にエミーリアを殺してしまう。

 

当初、この場面でイアーゴーは後ろからエミーリアを刺しそのまま走って逃げていた。

それが何日かして変更になった。

2人が向き合い、一瞬の静寂が流れ、抱きしめ合うようにして殺すかたちに。

切なかった。でも仕方がなかったのかもしれない。イアーゴーとエミーリアの間に一瞬流れた静寂は同意の時間だったのかもしれない。

2人の間に確かな愛があることが証明されているようなこの変更が私は好きで、涙が止まらなかった。

 

 

オセローは最後、デズデモーナを追いかけるようにして自害する。

それ見たイアーゴーは目を大きく開ける。それまで死んだような目をしていたのに。

イアーゴーは自分が崇拝していたオセローさえも失ってしまった。欲しかった全世界を手にすることが出来なかった事実を目の当たりにする。

 

この『オセロー』は最後、私たちに大きな謎を残します。

最後の演出がどうして付け加えられたのか、どういう風に捉えたらいいのか、自分なりに答えは出したつもりだけど、多分答えは1つじゃないんだろうな。

ある時は呆然としたように、ある時は睨むように何処かを見つめていたかと思ったら、うな垂れるようにして終わるときもあった。

あの最後が現実なのか妄想なのか、イアーゴーは生きているのか、死んでしまうのか…。

 

私はイアーゴーの心の内を掴めそうで掴めなかった。悔しいと思ったけど、それがイアーゴーであり『オセロー』なのかもしれない。

神山くんも千穐楽を終えた後、「それぞれの考え方、感じ方で楽しんでくれていたら嬉しい」と伝えてくれた。

 

 

1幕のサジタリアス館でオセローとデズデモーナの結婚が認められたとき、デズデモーナの父であるブラバンショーがオセローにこう告げる。

「気をつけるんだな、ムーア、娘に、ずっと。父を騙した女だ。騙されるぞ、おまえもきっと」

これがこの物語の中で、最初に出てくる最大の伏線なのかもしれない。