キスしてるみたいに手紙を書こう

日々の感謝とありったけの愛を

『溺れるナイフ』を観てきました

やっぱり我慢できなくて初日のレイトショーで1人で見てきました 。

 

溺れるナイフ

 

21歳の私は、あのキラキラした年齢のころには戻れないし、そもそもあの年齢のころキラキラしていたのかなんてわからないけど。
私も私なりに忘れられない時だったことは事実で。
戻りたいけど戻れないからこそ目を背けたいのが学生時代。
だから少女漫画原作とか王道の学園モノとかって割と避けて通ってきてたジャンルでした。
正直、重岡くんが出ていなかったら観てなかったと思うし、原作を全く知らない状態で見てます。でも本当に観てよかったし、見終わった後の気持ちが何となく予想してた心地のいいモヤモヤで。
夢物語なだけの少女漫画ではないことはわかった気がします。

とにかく登場人物が素晴らしすぎて

一人ひとりについて初見で思った感想を自分のために残しておきたいっていうメモ。

まさかのVBBのことより先に書いてしまった…

 

ちなみに1回全部消しちゃって絶望してた。笑

 

15歳の夏。東京から遠く離れた浮雲町に越してきた、人気モデルの望月夏芽。
退屈でウンザリするようなこの町で、夏芽は体を貫くような“閃光”と出会ってしまう。それは、コウと呼ばれる少年・長谷川航一朗だった。
傲慢なほどに激しく自由なコウに、反発しながらも、どうしようもなく惹かれてゆく夏芽。コウもまた、夏芽の美しさに対等な力を感じ、やがてふたりは付き合いはじめる。「一緒にいれば無敵!」という予感に満たされるふたり。しかし浮雲の夏祭りの夜、全てを変える事件が起きるのだった―。
失われた全能感、途切れてしまった絆。
傷ついたふたりは、再び輝きを取り戻すことができるのか。未来への一歩を踏み出すために、いま、ふたりがくだす決断とは―。

そもそも夏芽っていう人物が特別な存在で。美人で綺麗で、東京に住んでいたってだけで田舎の子からしたら憧れる存在。
でも何もかも手に入った東京から田舎にきた夏芽はどう生きたらいいのかわからない。
そんな土地で自分の思うまま生きるコウちゃんはすっごく眩しい存在だったんだろうなと思った。
どうにかしてコウちゃんに追いつきたい
コウちゃんを知りたい、わかりたい
何かを失う怖さよりも得ることを渇望してるように見えた。

でも、その特別な存在であるはずの夏芽が

完璧じゃなくて、むしろ自分の感情に正直に生きてる感じが人間っぽくて良かった。

それを1番感じたのは「撮る気なくした」って広能さんに言われたあとの夏芽だけど。

コウちゃんに対しても、「なんで?なんで?」って迫ったり。地団駄踏んだり、石投げたり。

火祭りにコウちゃんと行った時に「私たち付き合ってるんだよね?」って聞いたり、手を繋ぎたいとか、見つめ合っていたいとかも素直に言ったりするのが、かわいいな〜って思いながら観てた。笑

 

そういう夏芽とコウちゃんの距離は反発してくっついての繰り返しで全力な感じがするんだけど、大友は夏芽との距離が最後まであった気がして。コウちゃんが入り込めた夏芽のパーソナルスペースに大友は入れなかった。

コウちゃんに「関わらんで」って言われて泣いて帰ってきた夏芽に対して首にタオルをかけてあげることしかできないところとか。

バッティングセンターで一個空けてるところとか。

二人乗りしてる時も夏芽は横向きに乗ってて、

「俺じゃダメなんか?」って聞く最後の場面も大友は夏芽ちゃんの中に最後まで入りきれなかったんじゃないかなって。

それがすごく切なかった。

大友は太陽で救いで軽い気持ちでいられるって夏芽は言ってたけど
それはある意味逃げ場でもある気がして。

大友といる夏芽ちゃんはきっと「普通」になってしまってる。

それを広能さんは感じたから、もう撮らないって言った。

そして夏芽も夏芽で、コウちゃんに使っていたエネルギーを大友には使わずに済んでることに気がついていて。

広能さんに言われたとき、どうしてそう言われたのかわかったからこそ悔しいって気持ちがあったんじゃないかなと。
だからこそ掴めないコウちゃんが眩しい。
大友も夏芽の中にコウちゃんがいることをわかってる。でも自分にできる精一杯を夏芽にしてあげたくて。狙ってない優しさがほとんどだけど、一瞬見える大友の男な感情…夏芽をコウのところに行かせたくない離したくないって気持ちが見えた時が本当に切なくて。
「大友は何でも好きでいられていいね」って夏芽が言ってたけど。
それはきっとそうじゃなくて
大友は最後まで自分が本当に好きなもの、欲しいものに辿り着けない気がして。
可もなく不可もない人生を過ごしていくんだろうなって。それがまた切なくて。
だから大友には本当に幸せになってほしい笑
大友…お前はええ人すぎるんじゃ…号泣

 

カナちゃんが中学生の頃本当にあどけなくて、言い方悪いけど芋っぽい、田舎の子って感じがしてたのに。
高校生になって女子の輪の中で笑っている姿になんか複雑な気持ちになった。
女の子が、女子になった瞬間を見た気分。
きっとカナちゃんもカナちゃんなりに持っている信念とかは変わらないはずなのに、それが良くない方向に向かっているように見えて。
きっと言ってることと思ってることに矛盾があるけどそれにすら気付いていない。どこか認めたいないものがあるのが、すごく女子だなって思った。

 

大友もカナちゃんも本当にそこにいそうな
リアルな存在だったからこそ
コウは本当に「神さん」だった。
中学生のコウは自由に生きてて大きくてギラギラして見えて
追いかけても追いかけても追いつけない存在で。眩しかった。
でもあの事件があって、高校生になって、環境も変わって、色んなものに囚われて…
それから逃げようとするコウがどんどん小さく見えて。

コウは1人で孤独の闇に向かっているような気がして。
追いかけたら追いついたら消えてしまうんじゃないかってくらい脆かった。
でも、多分コウって物事を客観的に見ることができる人で、
だから夏芽が自分と一緒にいたらダメだって自分といたら輝けない、自分とはぶつかるだけで、そのエネルギーはここで使うべきじゃないってわかっていたんだろうな。

そしてコウは自分はここにいるしかないってこともわかってる。

高校生のとき所謂良くない人と付き合っていても火祭りには出てるし、お面も作ってるし、そういう家に生まれたことに対しては当たったりしない。むしろそのお面にすら自分の感情を表そうとするところがどこかそれにすがっている感じがして。コウはどこまでも特別な「神さん」だなと思った。

 

こんなに登場人物の一人ひとりに対して

たった1回の鑑賞でここまで考えるとかなかなか、自分もめんどくさい客だなと思いました。笑

本当に一個人の感想なので、それは違うだろとか思うところあると思うんですけど。

こんな長い文章を読んでもらってありがとうございました。笑

 

来週もう行く予定を立ててます。笑

溺れるナイフ』まだまだ考えることがありそうです。